白井 晟一の「原爆堂」展 新たな対話にむけて

白井晟一の「原爆堂」展にあわせて制作された動画「未完の建築」。
動画には未収録の内容も含めて再構成したインタビュー記事を掲載します。

建築は、「対話」をつくり出すメディア (1/3)

宮本佳明さん(建築家)

宮本さんが、建築家として白井晟一を意識したのはいつ頃でしたか。

宮本:大学2年のときに、好きな建物をスケッチしてくるという課題がでて、たしか松涛美術館を選びました。でも、そのときはまだ白井晟一さん自身のことは知りませんでした。「めし」とか「豆腐」とかの文章を読みまくっていたのは、27、28歳くらいのときです。実作でいちばん衝撃を受けたのは、親和銀行本店でした。白井さんの建築は、若い時にはそんなに理解できないと思うんですよ。でも、あれだけはストンと入ってきて、ずいぶん長い時間、銀行をうろつきましたね。

原爆堂については、どういった感想ですか。

宮本:原爆堂について、白井さんご本人は「譬喩としてではなく」と書かれていますが、いろいろな解釈ができる建物だと思います。

ほかの方も仰っているかもしれませんが、第一印象としては神社じゃないかって思ったんですね。図面で「ミュージアム」と書かれている建物が「拝殿」にすごく似ているなと思った。本殿の前にある拝むところですね。真ん中が割れて空いている割拝殿という形式にそっくりなんです。そして、図面では「テンプル」と呼ばれてるところが本殿になるのだろうという印象でした。もちろん白井さんは無意識だと思いますが。

神社ですか。面白いですね。

宮本:ご本人が書いている短いテキストを何度も読み返したんですが、相当苦しんで、この形をプリミティブなものとして出そうとされたと書かれています。何かの比喩ではないというのも分かるのですが、それでもいろいろな意味が感じとれる建築です。

もうひとつ言うと、これは石張りの表現になっているんですが、よく見ると何も支えているものがない。真ん中の黒いシリンダーは、黒御影の、何か光るような仕上げらしいのですが、姿を消そうとしているっていうふうにしか見えなくて、この石の塊を空中に浮かしたかったんだろうなとも感じました。

本当に原爆堂の見方や解釈は人によって違っていて、それもまた魅力なのだと思います。ところで、宮本さんのプロジェクトに、事故を起こした福島第一原子力発電所の4つの建屋を和風の屋根で覆って神社として祀る「福島第一原発神社」がありますが、あれはどういった思いで考えられたのでしょうか。

宮本:そうですね。僕の名前、宮本なんですけど、先祖は、奈良県の吉野の山奥で神官をやっていたらしいんですよ、何かやっぱり神社は気になります。今でも、どこの町に行っても神社はありますよね。福島第一原発神社は模型を造っただけですけど、自分のためにやったというのが一番大きいんですよ。

福島第一原発で事故が起きた直後、すごく怖かったじゃないですか。あのときは「どうしよう、どうするの」って毎日言っていたような気がします。それで、あれを神社として魂を鎮めるようなことをすれば、自分の気持ちが落ち着くかなと思ったんです。誰かに見せようとかではなくて自分のためでした。

Tetsuo Ito

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