白井 晟一の「原爆堂」展 新たな対話にむけて

白井晟一の「原爆堂」展にあわせて制作された動画「未完の建築」。
動画には未収録の内容も含めて再構成したインタビュー記事を掲載します。

ハンナ・アーレントと「原爆堂」 (1/3)

岸井大輔さん(劇作家)

岸井さんは原爆堂について、どんな感想を持っていますか。

岸井:白井さんの『原爆堂について』という短い文章がありますが、この文章がすごく良い文章だと思うんですね。こういう文章をちゃんと書ける建築家ってすごいなと思いました。

「構想を重ねてゆくうちに、畢竟は説話的なこのような考え方をでて自分に与えられた構想力の、アプリオリな可能性だけをおいつめてゆくよりないと思うようになった」とありますが、これはカント(※1)ですよね。そして「永続的な共存期待の象徴を望むには」という話をしている。つまり、カントの言う美を実体化させようとしてます、という宣言ですよね。

原爆についてすごい考えたという、その書き方もまるで修行僧のようです。「不毛の曠野にたつ愴然たる堂のイメージを逐っていた」と。そういうことを頭の中で修行僧のように考えていったら、その果てにカント哲学と同じ結論に俺は辿り着いたんだという、非常に野心的な話を4行にまとめているわけですよね。これはすごいなと思いますね。

「これはカントだ」と感じられたのは、どういう部分なのでしょうか。

岸井:僕はハンナ・アーレント(※2)の著書『人間の条件』をテーマにした作品を作ったことがあるんです。もう7年前なので、僕にとっては昔の作品に属するんだけど。ハンナ・アーレントが『人間の条件』で言うところのパブリック(公共)というものを、日本人が、この東京で、どうやったら立ち上げることができるかをテーマにしたプロジェクトでした。

白井晟一とアーレントは同じ時期にヤスパース(※3)に師事していたそうですが、この文章を読んだ時に、アーレントによるカントの解説と、白井がここで言っていることが似ている感じがするなと思ったんです。たとえば、美しいものには矛盾した二つのことがあると、カントは言っています。

絵でも何でもいいのですが、美しいって感じるのは、自分の自由意思ですよね。人に言われて「美しい」と感じるものじゃない。心からこれは美しいと、「私が」思っている。それは、すごく個人的なものです。個人的なものだったら、他人と共感なんか得られるはずがない。だけど、何か美しいものを見ると、人に「美しいよね」と言いたくなるということがある。すごく個人的なものなのにもかかわらず、他人と共感したくなる。この2つの矛盾をどう考えるかという話から、カントの判断力批判が始まるんです。

美を感じることは自発的で個別的である一方で、共感や同意を求めたくなる側面もあると……。

岸井:これをアーレントなりに解釈しているのが面白いのですが、美しいものは人間が対話できるということを表しているって言うんです。たとえ意見が合わなくても、人間は美について誰かと話をしたくなってしまう。意見が合わなければ、議論になったり、むきになったりしますよね。でも、最終的に「ああ、お前は美しいと思わないんだ」となった時には、それはすごく深い対話になっているんです。そういうことをカントは言いたかったんじゃないか、とアーレントは解釈しているんです。

白井はこの文章で、「永続的な共存期待の象徴をのぞむ」という言い方をしています。これはアーレントの言っている美の話と、僕はすごく近いと思います。つまり、美しいものを見た時に、人はみんなと話したいということですね。もし、「悲劇のメモリィを定着する譬喩」だったら、「原爆は悲惨だな」みたいな話になりますが、そうじゃなくて、何か格好いいものを見せて、みんながそれについて思わず話したくなってしまうような状態を作ることが大事だと。「貧しくともまず、かつて人々の眼前に表われたことのない造型のピュリティがなにより大切だと考えたからにちがいない」というのは、それを見た奴が思わず、「これ、格好いいと思うんだけど、お前どう思うよ?」と対話したくなるものを造ることこそ、原爆の反省なんだという話じゃないででしょうか。

この結論はすごくアーレントと僕は近いと思うんです。白井とかアーレントは、カントの言っていることをもう一段現実的に考えて、現実的に永遠の平和のためには何が大切かというと、意味不明だが格好いいものを造ることだと、こういう風に言ったんだと思うんですよね。

意味不明だが、格好いいものを造ることで対話が生み出される…。

岸井:アーレントは、人生に意味があるとしたら他人がいるからだって言うんですね。これ、とてもシンプルかつ明快な答えですよ。たとえば、部屋にこもって誰にも見せずに、ひたすら自分だけの世界を作り続ける奴がいるとして、それは神かもしれないけど、人間的な特性を失っている。それから、好きなだけ食欲を満たせるけど、誰一人友だちがいないという奴は、動物としては素晴らしいかもしれないけど、やっぱり人間的な特性を失っている。家もないし、食いものにも困っているけど、とにかく日々語り合う相手にはまったく困っていない奴は、神でもないし、動物としては貧しいかもしれないけど、人間ではある。

そんなような話を、アーレントは『人間の条件』でしています。神や動物というのは、どちらが上とか下とかではなく、全て比喩なんですよ。人間にはその3つの要素がある。世界を納得いくまで作り込みたいという神的な要素もあるし、食って、飲んで、寝て、みたいな動物的な要素もある。だけど複数人いるってことが人間の特質なんだとアーレントは言っています。

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