白井 晟一の「原爆堂」展 新たな対話にむけて

白井晟一の「原爆堂」展にあわせて制作された動画「未完の建築」。
動画には未収録の内容も含めて再構成したインタビュー記事を掲載します。

過去ではない「広島」に、自分の表現で向き合う (3/3)

石内都さん(写真家)

それは、人物を撮るときも同じような感覚でしょうか。

石内:私は、単なる人を撮るのではなくて、傷痕を持つ人を撮っていますからね。傷そのものに物語があって、それはその人の歴史なんです。傷を受けている体っていうことの意味で撮っていて、そういうことに対して、私はすごく興味があります。それは多分、遺品に近いような感じもしているんですけれども。

傷ってあんまり人に見せませんよね。写真に撮らない。遺品だってあまり写真に撮って見せません。おおざっぱに言ってしまうと、私は人が避けて通るもの、人があんまり直視しないものをテーマにするところがあるのかなと思います。

「直視しない」ということにかかわるような気がしているのですが、白井晟一は「原爆堂」という非常にストレートな名前をつけていますが、実際には、広島で正式名称に「原爆」とついた建築はないんですよね。

石内:長崎には、一つだけ原爆資料館というものがありますけどね。ただ、私も初めて広島行った時に、平和記念資料館、平和大通り、平和大橋と、もう「平和」だらけなことに仰天しました。原爆が平和にすり替わってるんですよ。それで、私が大変お世話になっている女性に「なんで平和なの?」って聞いたら、「原爆って言うより、平和の方が未来があるから」って。現場の人たちがそう言うのなら、とも思うけど、でも矛盾じゃない? 原爆を落として平和って。私は納得していない。だから、私は意図的に平和記念資料館ではなくて原爆資料館と呼んでいるんです。最近は、広島のマスコミも原爆資料館と言っていますよ。

「人が見たくないもの、言いたくないものを避けて通りたい、迂回したい」という空気は、日本ではとくに強いように感じます。

石内:まったくそのとおりだと思います。負、マイナスのものに対して避けて通る、除外する、「自分とは関係ありません」みたい風潮っていうのはありますね。それは日本だけじゃなくて、全世界にあるのかもしれないけれども、それが日本ではだんだんひどくなっている感じがしています。国民性なのかもしれないけど、さっき言ったように自分の言葉を持たない。つまり深く考えない。

3.11が起きたことで、私はあらためて広島ということ考えなくちゃいけないと思いました。何の発展もなく、またもとに戻ってしまった。いや、もっとひどくなった。本質みたいなものをわきまえないといけないのに、知りたくないし、忘れたいんですよ。福島の原発事故もそうだし、広島、長崎もそう。もう過去だから忘れたい。でも忘れることなんてできないわけです。自分の言葉をもって行動するというのは、ちゃんと責任を負うってことですよ。

自分の言葉をもたなければ、そもそも「対話」は成り立ちませんね。

石内:結局、話をしないと先に進まない。だからまず何を考えてるかっていうことは、やっぱり言葉にしていかなきゃいけない。一個人なんていうのは本当にちっぽけで、何ていうことないわけですよ。いろいろな人と出会った時に発見があって、「あれ?」とか「おお!」とか、知らないことを学ぶわけじゃない。無知だからこそ、得られるものがあるわけです。

結局ね、何が問題かっていうと、リアリティの問題だよね。みんな現実感がないわけでしょ。想像力が欠落している。自分の痛みしか分からないのは当たり前なんだけど、そこにどうやって想像力を働かせるかということでしか未来はない。想像力、アート、表現、美術……そういったお金にならないものが、いまはすごい欠けているんだと思う。

私だって、広島を撮るまでは、広島に対して現実味がなかった。だから、私はよそ者としての意識をちゃんと持たないといけないと思ったの。理解できないことは理解できないって言わなきゃいけないと思った。中途半端な理解は絶対しちゃいけないと思った。いまの人って分からないってことも口に出さないけど、きちんと「分かりません」から出発することは大事です。

石内さんは安曇野ちひろ美術館のLIFE展に参加されていますね(※2018年5月12日〜7月16日)。いわさきちひろさんは、かつて広島の原爆で被爆した子どもたちの作文に絵をつけた本を手がけています。

石内:そうですね。いわさきちひろさんはもう亡くなっていますけど、開催しているのは彼女の原画と私の『ひろしま』を一緒に展示するコラボレーション展です。あの美術館で、私の『ひろしま』をやるっていうことは、今までとはちょっと違って、子どもたちがたくさん見に来るってことなんですよね。まさに未来に向けて『ひろしま』を発表することだと思っています。

この原爆堂展もそうだけど、ちひろ美術館も広島によってできた新しい出会い。こういう風に、いままで縁がないと思っていた人と、広島によって出会うという経験をずっとしてきています。広島は、本当にいろいろな人を呼び込む力をもっているし、まさに対話の場をどんどん作っているのだと思います。

どうして、広島にそうした力があるのでしょうか。

石内:これが人類最大の悪だからですよ。2回も投下して、しかも、はっきり言って実験なんです。被害/加害だけじゃなくて、この先どうするかっていうことを一人ひとりが考えなきゃいけない。その過去は、実は未来なんだよっていうことに、現実的に向き合わなきゃいけない。福島のこともそう。つながっているんですよ。そのためにも、もっと自分の言葉で語って下さい、自分の目でちゃんと見て下さいということを言いたいですね。

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