白井 晟一の「原爆堂」展 新たな対話にむけて

白井晟一の「原爆堂」展にあわせて制作された動画「未完の建築」。
動画には未収録の内容も含めて再構成したインタビュー記事を掲載します。

過去ではない「広島」に、自分の表現で向き合う (2/3)

石内都さん(写真家)

石内さんにとっての写真の役割について教えてもらえますか。

石内:写真って表面しか写らないと思われているけれども、目に見えないものも写る。私は目に見えないもの、たとえば音とか、匂いとか、空気とか、そういうものを撮りたいと思ってるわけです。時間も目に見えないじゃない? ワンピースなんて時間のかたまりみたいなものなのね。72年経って今もあるわけですから。その間の時間をまとっている洋服たちというのは、すごく愛おしいわけですよ。

ワンピースの向こう側に、今でも行方不明の女の子がいる。その女の子もどこかから見てるかもしれない。そういうような、何か一つのイメージを持って私は撮っています。何かを訴えるとかではなく、自分との関係性を写真に撮ってる。それを見ていただくっていうことは、受け手にも、自分の目線で自分の言葉で、自分で考えてみてね、ということ。だから、私の写真にはキャプションがないんです。

キャプションで説明をつけ加えないということですか。

石内:そうです。広島を一番初めに撮った時に、マスコミがたくさん来て、みんなメッセージを教えてほしいって言うのね。広島イコールメッセージなんですよ。それは10年前の話だけれども、いまだにそうだと思います。もちろん、表現としてメッセージ性っていうのは当然あるわけです、だけど、言葉で説明するってことはしたくない。写真そのものがメッセージだから。

それは「原爆堂」にも言えることかもしれません。建築自身は語らないし、ほとんど原爆堂に関する白井晟一の言葉というものも残っていませんから。

石内:そうですね。

この原爆堂展の企画にあたっては、言葉は残っていないけれど、白井晟一が原爆堂に込めたメッセージをいまの時代の私たちがそれぞれに受け止めて、受け継いでいきたいという思いがありました。

石内:それは、基本だと思いますよ。それがない限り作品は自立できない。人間は死んでしまうけど、作品は生き残ることができる。白井晟一さんの肉体はないけれども、建築は残ってる。そこに行けば、彼の精神を感じる。だから、見たいなと思うじゃない。

いまある物事はすべて、過去じゃないんですよ。それは私の『ひろしま』も同じで、過去を撮ってるわけじゃないの。いま、私が目の前にあるものを撮ってるわけだから、私と同じ時間を過ごしているものを撮っている。それがたまたま広島の遺品だったりするわけ。私も白井さんの原爆堂を見たいですし、体験してみたいなと思います。

作品の時代とか立場とかを超えて、対話していくということは可能だと思いますか。

石内:可能だと思いますよ。過去は見られないけれど、過去のつながりとして今があるわけじゃない。そして、今のつながりが未来なんだから、今を考えることで、過去、未来も見えてくる。そういう意味では、対話できると思います。

石内さんは、今回初めて白井晟一のことを知ったそうですが、どんな印象でしょうか。

石内:これまでも松涛美術館とかには行ったことはありますけど、建築家としては知りませんでした。これも広島がつないでくれた出会いだと思っています。今回、資料をいただいて読みましたけど、「かっこいいな」という印象です。白井晟一さんという建築家に非常に興味を持ちました。

「かっこいい」というのは。

石内:顏ですよ。顔っていうのは、その人の生き方が出るんです。私は顔で判断する。美男子とかそういうことじゃなくて、このにらみつけているような、彼の中に何か怒りがあるって感じました。その白井晟一という生き方が、原爆堂なんだと思ったんです。そういう生き方が建築に出ているという風に感じました。

なるほど、石内さんらしい表現ですね。作品の受け取り方というのは、受け手によってさまざまだと思うのですが、「ひろしま」シリーズに関して何か印象的な反応などはありましたか。

石内:私は、自分のボキャブラリーにない言葉を聞くのが一番いいんですよね。感想っていうのは、その人の価値観の中で出てくるわけだから。ただ、残念ながら、日本では美術があまり教養の一部として入っていないので、いい感想というのはなかなかない。でも、カナダのバンクーバーで展覧会をしたときは、みんながそれぞれ自分の言葉で広島を語ってくれました。私は感動を与えたいと思っているわけではないので、ただほめられても仕方ないんですよ。日本人は。もうちょっと自分の言葉をもってほしいなと思います。それは教育の問題だけどね。

石内さんが遺品を撮るときに、被写体との対話とか、無言のメッセージのやり取りみたいなものは感じていますか。

石内:写真を撮るっていうのは、一方的なものですよね。でも、たとえば何も言わない遺品から、それを着ていた女の子みたいなのを想像するんですよ。彼女が着ていた時を想像しながら、一番かっこよく、素敵な形で撮ってあげたい。そうすることで、何か、物が生きてくるんですよ。そういうことはあります。

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