白井 晟一の「原爆堂」展 新たな対話にむけて

白井晟一の「原爆堂」展にあわせて制作された動画「未完の建築」。
動画には未収録の内容も含めて再構成したインタビュー記事を掲載します。

東日本大震災を経て、
再び「原爆堂」が現代的な意味を持つ
(3/3)

五十嵐太郎さん(建築史・建築批評家)

痛みを感じるものは見たくないという雰囲気があるようにも思うのですが……。

五十嵐:「見たくない」っていう意見は強いですよね。日本は、すぐに取り壊して再開発を考えるか、きちんと保存するの二択しかなくて、しばらく放置しておくっていう選択肢があんまりない。それだと大体壊すことに決まります。

でも、原爆ドーム(正式名称:広島平和記念碑)も実際にきちんと残そうと決まるまでには、20年ぐらいかかっているんです。もし急いで今すぐ残すかどうかって決めろって言われていたら、おそらく原爆ドームも壊されていたと思う。だけど、戦後の余裕がないなかで残っていて、60年代になってから残すか残さないかの議論が始まったんです。

実は、ベルリン・ユダヤ博物館も一時期プロジェクトが頓挫して、実現できないかもしれない状態になっていたんですよ。でも、まさに今回の原爆堂もそうなるのかもしれないんだけど、リベスキンドの妻があれを建てようという運動を起こしてお金を集めたんです。それで実現した。ユダヤの人たちの「記憶を残したい」という思いが反映して、実現に至っているんです。

原爆ドーム

ユダヤ博物館

五十嵐さんが芸術監督を務めたあいちトリエンナーレ2013についてのインタビューで、「アートは記憶を伝えるメディア」だという風に話していらっしゃいましたね。

五十嵐:そうですね。あいちトリエンナーレのテーマの中に、「記憶」を入れたのですが、それはアートには記憶を担っていく力が非常に強いからです。ラスコーとか、アルタミラの壁画は、絵画という形式で、文字を持ってない時代に人類が何を考えたのかを想像させることができるし、そういう喚起力がすごい。

逆に言うと、建築の場合は見る側のリテラシーをアートよりも少し要求するところがあります。つまり、解読能力ですね。アートは、相手の心の中に直接入っていく強さがあると思うんだけど、そういう意味では建築の表現そのものは抽象的です。空間の体験であったり、抽象的な形態でしかないから、多少はそこに読み手の側のリテラシーが要求される気はします。

今回の「原爆堂」展では、「対話」ということもひとつのテーマにしています。これまでの話から、五十嵐さんは「対話」という言葉にどんなことを感じるでしょうか。

五十嵐:そうですね。たとえば、日本にはあんまり戦争博物館で、公立のものはほとんどありません。靖国神社の遊就館とかもありますが、あれはイデオロギーが入ったものですよね。何か戦争に関する記憶の博物館で、ちゃんとした歴史を振り返ってるものが少ないのがすごく不思議です。まあ、昭和館とかピースおおさかとか、多少はあるんですけどね。

ただ、あまり太平洋戦争の時のことをきちんと振り返るミュージアムがなくて、それは日本が未だに戦争を清算してないからかなと思うんです。何か、対話という前に、その対話するための材料、考える素材が欠けてる感じはあります。たとえば戦争で人が亡くなったことは本当に悲しい出来事だけど、ただ「悲しい」で終わりにするのではなくて、そういうことが起きた背景とか原因の話がないと、対話も議論もそれ以上進まない。どうしたらそうならなかったのかとか、違う可能性、オルタナティブについて考えるべきだと思うんだけど、日本にはその材料が欠けている気がしています。

もし今後、原爆堂が建つとしたら、それにはどんな意味があると思いますか?

五十嵐:原爆堂が建つのであれば、本当に長く残るべき建築だと思います。30年とか50年で壊すんじゃなくて、もっと長く建ち続ける建築物であってほしい。建物って長く残ると意味がどんどん変わってくるんですよ。変わらないのは、物理的な部分だけなんですよね。物としてはずっとあるのだけれど、その意味が変わっていくのが建築の面白いところなので、それくらい残っていく建築がもっと増えてほしいとは思います。

ただ、どうしても実際に建てるなると、実用性とか機能性とかいろいろなものが入ってきますよね。ある意味で、実現されていないがゆえにピュアな状態でいられるということもあるので、それがすごく人を惹きつけるし、そうしたものは建築の歴史にも度々出てきています。そういう意味で原爆堂は、白井晟一さんの建築の中でも、すごく純化した形で理念が表れているような気がする。だから、実現するとどうなるのかって、逆に考えてしまうところもありますね。

僕はいま大学で教えてもいますが、いまの若い建築家は、どうしても半径30mというような日常的な仕事が多くなっています。それは仕方がないとは思うのですが、建築が持っている射程がすごい大きいということを忘れてほしくないなと思っているんです。まさに原爆堂なんかは、そういうプロジェクトですよね。実現していない建物なのに、今なお語られている。それは建築が持ってる強さだし、そういうものを僕は若い建築家にも積極的に提案してほしい。原爆堂のプロジェクトから、そうしたことも感じとってもらえたらいいと思います。

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